開幕前、万全ではない阿部を救ったのは指揮官の一言だった【写真は共同】
開幕カード、広島戦直前のマツダスタジアム。打撃練習のさなかだった。阿部は原辰徳監督に呼び止められ、告げられた。
「これから長いシーズンが始まるけれど、お前さん、将来のために自分が監督だと思って野球を見なさい」
まだ体調は十分ではなかった。
「キャッチャーで復帰するならあと半年かかるな」
1カ月前に傷めた左ふくらはぎはいつ悲鳴をあげるか分からない状態。キャッチャーの構えから立ち上がる動作がままならない。だが心の状態は一時よりも上向いていた。心の空模様は雲一つない快晴とは言えないが、雲の合間に青空が覗(のぞ)いている。
きっかけをくれたのは誰あろう原監督だった。3月中旬、三軍での調整中にメッセージが届いた。
「自分でキャッチャーに戻ると言って、プレッシャーをかけすぎちゃったか? 気楽にいこうぜ」
救われた。そうか、チーム全体を見渡せば、銀ちゃん(炭谷銀仁朗)も誠司(小林)も大城(卓三)もいる。キャッチャーは俺一人じゃないんだ。
監督が代打やファーストで使ってくれるなら、それに備えればいいじゃないか。監督は選手の俺よりもずっと大きな地図でものごとを見ているんだから。そう考えると、ずいぶん気持ちが楽になった。
万全でない中の一軍合流、そして400号本塁打
6月1日には通算400号本塁打を達成。巨人の生え抜きでは王貞治、長嶋茂雄に次ぐ3人目の快挙だ【写真は共同】
あとは体だ。もう40歳。キャッチャーという激務を長く続けてきたせいで、試合前、練習前にはテーピングだらけのミイラのような様相になってしまう。回復も遅くなった。休みを取ると、その翌日の立ち上がりも悪い。
「あれ? 何でこんなに体が重いんだろう?」
何度かそれを繰り返し、1日完全に休むことがかえってマイナスになることを自覚したりもした。
原監督から掛けられた「次はないぞ!」という言葉は、決して脅しではない。この先も現役を続けられるかどうか、自分はいま境界線にいるのだ。
しかし原監督はその一方で「試合に出ていない時に、自分がどうチームに接するかも大切だぞ」と説いてくれた。万全とは言えない状態で一軍に呼ばれたとき、だからもうやるしかなかった。
開幕後の初安打は4月6日の横浜DeNA戦で生まれた。9回表、相手投手の山崎康晃から右中間を破るツーベース。試合後には「明日も続けられるように頑張ります」と淡々と語った。
初本塁打は6月1日、東京ドームの中日戦。5回から代打で出場し、2打席目の6回に直球を完璧にとらえ、フェンスオーバーさせた。
これがプロ通算400号だった。史上19人目。40歳2カ月での到達は、山崎武司(当時楽天)の42歳9カ月に次ぐ、2番目の年長記録。巨人生え抜きの選手では王貞治(通算868本)、長嶋茂雄(通算444本)に次ぐ3人目の快挙となった。
チームは坂本のタイムリーでサヨナラ勝ちを収め、試合後、記録達成について聞かれた阿部は「本当に打てちゃったんだな」と笑った。
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April 30, 2020 at 08:40AM
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阿部は「できないことを見極める」 試合に出ることだけが全てではない - スポーツナビ
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