Pages

Saturday, April 25, 2020

「出るからには金メダルを狙う」スケートボード堀米雄斗が語る決意(VICTORY) - Yahoo!ニュース

スケートボードの最前線と言われるアメリカを拠点とする堀米雄斗は、地元開催となる東京五輪で頂点に立つべく才能に磨きをかけている。その才能はどうやって生まれ、どう伸ばしてきたのだろうか。日本での日々、アメリカでの生活を振り返りながら、その秘密を探ってみる。 文=原山裕平 写真=松岡健三郎

一番の魅力は“自由” 「スケートボードひとつで世界中の人たちとつながれる」

――スケートボードを始めたきっかけを教えてください。
堀米雄斗 始めたのは6歳くらいです。もともと父がスケートボーダーで、父が滑りにいく公園に僕もついて行ったのが、きっかけですね。最初は座って乗ったりしておもちゃみたいな感じで遊んでいたんですが、教えてもらって乗れるようになると楽しくて、どんどんはまっていきました。1年後くらいには、もう毎日のように父と一緒に滑っていましたよ。

――スケートボードの魅力をどこに感じていますか?
堀米 一番感じるのは自由なところですね。たとえば、スノーボードだったら雪山まで行かないとできないですけど、スケボーはいつでも、どこでもできる。雨が降っていてもスケボーはできますから。それと、スケートボードひとつで世界中の人たちとつながれるのも魅力ですね。

――コンテストに出るようになったのは、いつくらいからですか?
堀米 始めて2~3年くらいで、ミニランプやバーチカルのコンテストに出るようになりました。当時は、ミニランプはそこそこでしたが、バーチカルは全然ダメでした。その後にストリートも始めたんですけど、初めて出た日本のコンテストではボロボロでしたね。

――日本のトップを目指したいという気持ちは、どれくらいから芽生えたのですか?
堀米 日本でトップになりたいというより、小さいときからずっと世界のプロプレーヤーにあこがれていました。だから、日本でトップになるより世界のトップスケーターになりたいと思っていましたし、今もそこを目標にして頑張っています。

――ちなみに、あこがれていた選手は?
堀米 小さい時はシェーン・オニールとか、ポール・ロドリゲスが好きでした。

――アメリカに行ったのも、そういうスケーターに近づきたい想いがあったから?
堀米 日本のコンテストで勝てるようになってきたので、自然と海外で挑戦したいと思うようになり、周りの人も行ったほうが良いと言ってくれました。もともと昔からアメリカに住みたいと思っていたんです。行くだけじゃなくて、そこに住みたい気持ちが強かったですね。

【関連記事】

Let's block ads! (Why?)



"出る" - Google ニュース
April 24, 2020 at 07:06PM
https://ift.tt/3cDW0iu

「出るからには金メダルを狙う」スケートボード堀米雄斗が語る決意(VICTORY) - Yahoo!ニュース
"出る" - Google ニュース
https://ift.tt/3ayuGlo
Shoes Man Tutorial
Pos News Update
Meme Update
Korean Entertainment News
Japan News Update

No comments:

Post a Comment