海パン姿で「そんなの関係ねぇ」と叫ぶギャグで世に出た小島よしおさん(39)も、元は千葉球児。千葉市立稲毛高校から早稲田大を経て、お笑い芸人になった今も、高校野球の経験が生きているという。
実は僕も、野球少年でした。二つ上の兄の影響で、小1で野球を始め、稲毛高では投手として本気で甲子園を目指していました。
でも、高校1年の夏のこと。練習試合で暴投が続き、四球の連続で1回で10点もとられました。登板前にブルペンで投げすぎて疲れたことが原因でした。
それから投げるのが怖くなり、大事な場面で突然筋肉が硬直するなどの運動障害「イップス」になりました。腕が振れず、うそみたいに地面にたたきつけたり、全然違う方向に投げてしまったり。投手は3年で完全に「クビ」になり、大暴投を仲間から「小島ボール」といじられました。
1998年の3年の夏は西千葉大会で4回戦敗退。相手はその年、甲子園に出場した市船橋でした。4番一塁でしたが、ここでも「小島ボール」が炸裂(さくれつ)します。同点で迎えた三回の守備。無死一塁で僕が守る一塁にゴロが来ます。打球は平凡で完全な併殺コース。でも、僕の送球は、二塁で待つ遊撃手のはるか上へ飛んでいきました。暴投から流れが悪くなり、立て続けに失点。2―10でコールド負けでした。高校野球は、負けた記憶ばかりです。
芸人になってからも、挫折の連続でした。「そんなの関係ねぇ」が2007年の新語・流行語大賞のトップテン入り。けれども約1年後からは、ネタが全くうけなくなりました。トークで盛り上げようという意気込みはありましたが、僕が話すとスタジオが地獄のような空気になりました。そこから「一発屋」と呼ばれるようになりました。
そんな時に支えになったのは、結果を出すためにがむしゃらに努力した高校野球の経験でした。
稲毛高はミーティングを大事にしていて、みんな練習着のポケットにメモ帳を入れていました。グラウンドでも、気づいたことがあればその場でメモします。
学ぶ大切さは今も持っています。僕はトークが苦手だったので、関係者にお願いして、出演予定ではない番組の前説をさせてもらったり、面白い先輩と一緒に過ごして勉強したりしてきました。あとはとにかく、新ネタを作り続けました。
積極的に前に出る姿勢も高校野球で学びました。打撃も守備も監督から「ボールに向かっていけ」とよく言われていたんです。今はどれだけスベっても前に出続ける。むちゃぶりにも、1回乗っかってみる。その繰り返しで、徐々に道は開けました。時々「暴投」はしてますが。
球児に伝えたいのは、君たちが過ごした2年半は変わらない財産だし、今後も自分を支えてくれるものになるということ。
夏の大会の中止なんて、簡単には飲み込めない固いものだと思います。のどを詰まらせないように、時間をかけてよくかんで下さい。いつか、飲み込める日が来る。「そんなの関係ねぇ」とは簡単に言えませんが、この悔しさをいつか、新しい道に進むエネルギーにしてほしいと思います。(福冨旅史)
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May 24, 2020 at 10:55AM
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元球児の小島よしおさん 「一発屋」支えた前に出る姿勢 - 朝日新聞デジタル
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