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Monday, February 14, 2022

元気が出る歴史解釈共有を 平川新・東北大名誉教授に聞く 宮城県誕生150年 - 河北新報オンライン

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 宮城県は16日、誕生から150年を迎える。東北大の平川新名誉教授(日本近世史)は河北新報社のインタビューに対し、宮城、東北を巡る後ろ向きな歴史評価に異を唱えた。戊辰戦争での敗戦、食糧や人材の供給基地の側面に焦点を当てた「対中央従属論」を「外から押し付けた、上から目線のワンパターンな解釈」と指摘し、「今回の節目を機に、未来が見える歴史解釈を共有してほしい」と訴えた。
(聞き手は報道部・土屋聡史)

[ひらかわ・あらた]東北大大学院修士課程修了。東北大東北アジア研究センター長、東北大災害科学国際研究所長などを歴任。2014年4月から20年3月まで宮城学院女子大学長。専門は日本近世史、歴史資料保全学。71歳。福岡県出身。

 -150年で培われた県民の精神風土をどう見るか。

 「代表的な産業の稲作から考えたい。自然災害や凶作に見舞われながらも、奥羽の民は商品価値が高い米作りに果敢に取り組んできた。稲作は本来、亜熱帯の産業。『リスクは大きいが、やってやる』という心持ちがあったからこそ、なし得た。まさに農民のチャレンジ精神が見て取れる。不適な環境にあらがって工夫を重ねる頑張りは、食糧供給地としての自負と誇りがあったからだ」

 -「食糧供給地」が、時に後ろ向きな文脈で説明される。

 「コメは商品価値が高い。広大な土地が広がる地の利を踏まえた自然な判断だ。にもかかわらず、『中央からの収奪』『従属』と語られた。労働力や食糧を首都圏に供給したのは全国的な動きで、宮城や東北に限った話ではない。凶作や自然災害の被害と重なり、遅れた地域というイメージを増幅させた」

 -知らないうちに刷り込まれている、と。

 「かつての歴史研究者が一側面のみを強調してきたことが背景にあると考えている。古代の蝦夷(えみし)制圧、戊辰戦争の結果などを引き合いに、東北を敗戦の歴史としてまとめてしまったのが残念でならない」

 -どのような再評価が必要か。

 「史実に基づき、元気や希望が湧く方の解釈に目を向けてほしい。歴史は複眼的な見方が必要だ。農業で言えば、『収奪』でなく『挑戦』。先人は粒々辛苦の末、世界一おいしいコメを生み出したではないか。郷土の埋もれた先達の功績を掘り起こし、次代に引き継ぐ動きがもっと活発化していい」

 「郷土愛がないと、地域は元気にならない。大人も子どもも『こんな歴史があったのか』と学び直すことで、さらに地域への愛着が湧く。地元の人が誇りを持てば、UターンもIターンも増える。宮城県誕生150年は、元気が出る歴史解釈を共有する契機でもある」
(詳細は16日朝刊の特集に掲載します)

[メモ]宮城県は廃藩置県の翌1872(明治5)年2月16日、旧仙台藩を中心とした「仙台県」から改称する形で成立した。玉造郡などの「磐井(いわい)県」、刈田郡などの「磐前(いわさき)県」が後に加わり、現在の県域は76年8月21日に確定した。県は新年度、誕生150年の節目を祝う記念行事や観光キャンペーンを計画している。

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