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Friday, June 17, 2022

「こんな判決出るとは」無念の原告 疲労と失望 - 産経ニュース

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原発避難者訴訟最高裁判決後、記者会見する馬奈木厳太郎弁護士(中央)ら=17日午後、東京都千代田区の衆議院第二議員会館(鴨志田拓海撮影)

「肩透かしの判決だ」。東京電力福島第1原発事故で避難した住民らが起こした4件の集団訴訟で、最高裁が17日、国の責任を認めない初めての統一判断を示した。あの日から11年余り。故郷を奪われ、戦い続けてきた原告らは、疲労と失望の色をあらわにした。

「こんな判決が出るとは思わなかった」。福島県いわき市から前橋市に避難した群馬訴訟の原告、丹治杉江さん(65)は判決後の記者会見で呆然(ぼうぜん)とした表情で話した。

11年前、水素爆発を起こす1号機の映像をテレビで見た。避難指示は出ていなかったが、危険を感じ、夫とともに避難した。

いわき市で家電修理店を営んでいた。ワープロの修理で全国的に知られた店だ。だが、原発事故後、ワープロを預かっていた客から「放射能が付いただろうから、もう返してもらわなくてもいい」と心ない言葉をかけられた。

義母は地元に残った。事故以来、一度も会えず、亡くなった。身近には孤独死した人もいる。

裁判を始めたのは「責任の所在を明らかにしなければ」との思いからだ。1審前橋地裁では国の責任が認められたが、2審で覆され、今回の最高裁判決でその結論は確定した。

最高裁で東電の賠償責任は確定したが、避難指示区域外だったため、受け取ったのは25万円ほど。「これからどうしたらいいのだろう」と涙をぬぐった。

福島県南相馬市から遠く愛媛県まで避難した愛媛訴訟の原告、渡部寛志さん(43)は「東電にだけ責任を負わせて終わらせるなら、原発事故を起こした社会の誤りも正せない」と憤った。

福島では妻と娘2人で暮らしていたが、遠く離れた地での生活が長期化し、妻とは衝突することが増えて離婚。妻と長女は福島県須賀川市に移り、渡部さんと次女は愛媛に残った。

「家族みんなで暮らしたい。苦しい生活から抜け出したい。(国には)真摯(しんし)に向き合ってほしい」。そんな思いで訴訟に身を投じた。「心は通じるはずだ」と、最高裁の弁論でも意見陳述したが、願いはかなわなかった。

思いは、福島県浪江町出身の小丸(おまる)哲也さん(92)も同じだ。代々続く農家。自宅は福島第1原発からわずか11キロ。事故直後はあまり気にも留めず自宅にいたが、数日後、防護服を着た警察官が来て言った。

「なぜここにいるんだ」

慌てて避難した。「1週間ぐらいで戻れるだろう」。しかし、その後は福島県内を転々とし、千葉の親類宅に身を寄せ、今は横浜市内で暮らす。

千葉訴訟の原告の一人として、2審東京高裁では現地視察した裁判官に、草木が伸び、荒れ果てた自宅を案内して惨状を訴えた。「本当に残念」。この日は言葉少なに話した。

最高裁、国の責任認めない判断 福島原発事故の避難者訴訟

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