武蔵野中学高等学校(東京都北区)は、校訓の「他者理解」を軸とする教育を実践している。2004年に女子校から共学校化するに際して掲げたこの校訓は、体育祭などの学校行事、授業、学校生活の隅々に浸透しており、さまざまな場で他者を意識する経験を重ねることによって、生徒は「他者に生かされていること」を知り、他者への優しさを身に付けるという。西久保栄司校長に「他者理解」教育の意義を聞いた。
西久保校長は、大東文化大学日本文学科を卒業後、1990年に武蔵野中学高等学校へ国語科教諭として赴任。2009年に副校長となり、翌年から現職。また、23年度から系列の武蔵野学院大学教授として、教職課程に関する科目などを教えている。
――校訓の「他者理解」にはどういう意味が込められていますか。
私たち自身が「好き、嫌い」といった特別な感情を抱くのは、他者の1割と言われているそうです。つまり、残り9割の他者は、好きでも嫌いでもなく、特に感情を抱くことのない人というわけです。ですが、社会に出たら、そういう特別な感情を抱かない人たちを相手にしなければなりません。例えば、商品を販売する際、その商品を買ってくれそうだと想定できる「消費者」は、名前も性別も知らない人たちが大多数です。
そうした相手が、それぞれどのような立場に置かれているのか、どんな状況で、どんな心の状態なのかなど、いろいろな角度から見て、相手を理解する、あるいは理解しようとすることが「他者理解」だと考えています。
――「他者理解」を深めるために何が必要と考えますか。
「他者理解」は、難しい言葉ではありませんが、実践するとなれば、大人でもなかなか難しい部分が多いと思います。ある意味、永遠のテーマとも言えるでしょう。言葉だけを見ると、単純に「他者を理解すればいいんでしょ」と頭で意味を理解することになりがちですが、真の意味で他者を理解するには、やはり他者と関わる多くの経験が必要です。経験することで、「他者理解とはこうなんだ」と分かっていくと考えています。
そのために本校では、生徒が他者を意識する経験を積める場面を、できる限り多くつくることに力を入れています。例えばクラスの中でも、いろいろな他者がいて、いろいろな関わりがあり、その中で今、自分が生きていけるわけです。そうした毎日の小さなことから他者を意識できる思考回路を、中高6年の間に身に付けてほしいと思います。
体育祭を縦割りで実施しているのも、そのための工夫です。本校では中1生と高1生、中2生と高2生、中3生と高3生がチームを組む学年対抗形式にしています。中高一貫校ならではの強みであり、一般的には、学年でクラス対抗にする場合が多いと思います。学年対抗形式にすることで、高校生は自分たちより年下の中学生の面倒を見る必要があるし、中学生はものすごく「大人」に見える高校生と、一定期間を共に過ごす必要が出てきます。そうすることで、「大人」だと思っていた高校生が、実は意外に自分たちと近い存在だったと気付くこともあるでしょう。
さらに、体育祭は“勝負事”なので、いかに勝つかをみんなで考えなければなりません。武蔵野には「みんなでやるから高いところに行ける」という合言葉があるのですが、どうやったら勝てるのか、そのためにはみんなでどう協力していくのか、そこに一つの目標意識が生まれます。さらに、勝った負けたの結果が出て、成功体験も失敗体験も生まれるわけです。一人ではできなかったけれど、みんなでやることで知らないうちにできていた、というような協力体験が、他者理解を促す要素になっていると考えています。
文化祭も、体育祭と同じく「みんなでやるから高いところに行ける」という考え方を大切にしています。体育祭は、学内の自分たちのことを考えて行動することが主となりますが、文化祭では、クラス別、クラブ別に催し物を行い、学外から来てくださった方に、どう楽しんでいただくかを最優先に考えなければなりません。自分のやることが、他者に対してどういう役割を持っているのか。そうした意識を持って行事に取り組むように促しています。
――授業でも他者を意識させる工夫をしていますか。
本校は、グローバルな時代に即応した国際人の養成を目標として英語教育に力を注いでいます。そのために、6年間の一貫教育を通して外国人教師による週6時間の「Learning Through English(LTE)」という授業を行っています。例えば、校外に出かけてグループワークで植物を調べ、その結果をプレゼンテーションする、といった流れをすべて英語で行うのが、この授業の特徴です。グループで調べて発表するには、他者を意識し、他者と協力する必要が出てきます。英語というツールを使って、他者理解を深めるプログラムだと考えています。
――生徒への指導面で教員が心がけていることはありますか。
教員には、生徒に何かを伝えるとき、「必ず理由から入ってください」と言っています。それも、生徒がその理由を自分で言えるくらいになるまで、何度も繰り返してくれるようお願いしています。
例えば、水道の蛇口をひねればすぐに水が出てきますが、それは、誰かがその仕組みを作ってくれているからです。物事にはそうした理由があるということを知ることが大切だと思います。ともすれば、「お金さえ払えば、自分だけで生きていける」などという考えに陥りがちですが、社会の仕組みは、色々な他者のおかげで成り立っているということ、つまり、自分は他者に生かされている、ということを学ばなければなりません。
他者、ひいては社会を理解するには、そもそもなぜこれができあがったのかを考えることです。理由が分かれば、自分で考えて行動できるようになります。「やりなさい」というだけの指導でそれを実現するのは困難です。教員が、物事を伝える際に常に理由を述べることによって、生徒は自発的に、自分が他者のために何ができるのか、他者を思いやるにはどんなことができるのかを意識するようになるのです。
「自分は他者に生かされている」ということを理解する素地ができれば、考え方やものの見方が変わり、生徒一人一人が他者に対してできることも膨らんでいきます。もちろんそれをどう生かすかは、それぞれの生徒次第ですが、人間力、生活力のある生徒が育っているという実感はあります。
卒業式の時などに、「電車の中で自然に席を譲っていた」というような話を生徒からよく聞きます。「以前は、恥ずかしいから声をかけられなかったけれど、気付いたら何も考えないで譲っていた」と言うのです。「他者理解」を意識する経験を積むことで、ごく自然に他者に手を差し伸べられるようになったのでしょう。本校での6年間が、少しでも社会に出るための経験の場になればと思っています。
(文:尾針菜穂子 写真:中学受験サポート 一部写真提供:武蔵野中学高等学校)
武蔵野中学高等学校について、さらに詳しく知りたい方は こちら 。
からの記事と詳細 ( 【特集】社会に出るための経験を積み重ねる「他者理解」の教育…武蔵野 - 読売新聞オンライン )
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