3歳の頃、伊勢神宮の「えと守(まもり)」を指さして「これは何?」と母によく尋ねていた。母は神宮のえと守を通して十二支や家族の生まれ年の干支(えと)を教えてくれ、私は「子丑寅卯辰巳(ねうしとらうたつみ)……」と口ずさんでいた。
三重県伊勢市生まれの私は神宮へお参りする環境で育ち、祖父が毎年えと守を授かり、暮らしの中に木彫りの干支があった。当時はその干支を彫るようになるとは想像もしなかったけれど、えと守の辰を見て「この辰のようにかっこよくなりたい!」と強く思ったのを鮮明に覚えている。
高校は地元の繊維デザイン科に通い、卒業制作では「絵を見ている自分」を表現したくて等身大の自分の石膏(せっこう)裸婦像を制作。本格的な立体作品を作ったのは初めてだった。絵画とは違い、360度の空間を変え、見る角度によって異なる感覚を与えられる彫刻の面白さにひかれて関東の美術大学に進学し、彫刻を学んだ。
からの記事と詳細 ( アートな窓:元気が出る縁起物に=伊勢一刀彫職人・太田結衣 /愛知 - 毎日新聞 )
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